推しがいるとドラマの見方って変わるよね?

映像・ドラマ

いまさらですが
ドラマって物語を楽しむもんですよね。

脚本がどうとか
演出がどうとか
伏線がどうとか。

でも。でもでもでも。

推しが出てるだけで
その前提、ちょっと揺らがへん?

今日は「推しがいるとドラマの見方は変わるよね」って話を
だれかと共感できたらいいなと思って書いていきます。


主役が変わってしまう

たとえば推しが脇役やったとする。

物語の中心は別の人物。
でもこっちは無意識に目で推しを追ってる。

登場シーンが少ないと不満。
セリフ少ないとモヤッ。
出番多い回は神回。

冷静に考えたら
物語の出来とは別軸やのに、
体感評価が完全に変わる。

推しが映ってる時間=満足度。

これ、もう見方が完全に変わってしもてるのよ。


推しが悪役でも悪いことしても許してしまう

推しが悪役やったとき。

他のキャラが同じことしたら
「最低やな」ってなるのに

推しやと
「事情あるよな」
「本当は優しいよな」
「つらかったんやろな」

って
めちゃくちゃ解釈が甘くなる笑。

はい。
そこはもう客観的に見れてへん自覚はある。

でも止められへんのよ。


推し中心に物語を再構築してしまう

考察も
感想も
無意識に推し軸になる。

「この展開、推しの成長物語として最高」
「この脚本、推しの魅力引き出してる」

気づけばドラマ全体より
推しの物語として語ってしまってること
実はちょこちょこある。

他キャラの視点が抜け落ちることもある。

物語を“見る”というより、
推しを“追う”。

推し活としてのドラマ視聴
これがまた楽しすぎるんよ。

でもドラマ好きの立場からすると
全然物語をフラットに見れてないんです。はい。


推しを守る空気が生まれる

これ最近とくに思う。

SNSで推しが叩かれたら、
即反論。
擁護。
考察で補強。

推しを守る空気みたいなもんができあがる。

逆に
推しの対立キャラが
過剰に叩かれることもある。

物語上の役割やのに
リアルの人格みたいに扱われる。

ここはちょっと怖い。

ドラマの話やのに、
感情の温度が本気すぎるときある。


それでも推し視聴はやめられへん

ここまで書いてなんやけど、
推し視聴って全然悪いことちゃう。

むしろ、
ドラマを最後まで見る理由になってる人も多い。
制作側にも十分メリットあるし。

推しが出てるから頑張って見る。
推しが出てるから感情動く。
推しが出てるから毎週楽しみ。

物語の入口が推しでも
そこから世界が広がることもある。

それは否定できへんからね。


まとめ

推しがいると
ドラマの見方は確実に変わってまう。
少なくとも私はそう。

評価は甘くなる。
視点は偏る。
感情は強くなる。

でもそれはドラマと推しのこと
どっちもちゃんと好きやから起きる現象。

フラットに見る視聴もあるし、
推し全開で見る視聴もある。

どっちが正解とか
どっちがえらいとかない。

ただひとつ言えるのは

推しがいると、
ドラマは“作品”から“体験”になる。

ちょっと冷静さは失うかもしれんけど
そのぶん熱量は増える。

それもまた
今のドラマの楽しみ方なんやと思う。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

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